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受験の果てに見たもの〜国立大学現役合格体験記〜

今週のお題「卒業」

 

卒業シーズンになると自分自身の数ある「卒業」をふと思い出しますが、流石に最後の卒業となる大学院を卒業して9年も経つと色々と記憶も霞んでくるもんですね。

 

それでも記憶、というよりベットリとこびり付く様にいやーな気持ちとして思い出す、それと同時に晴れやかな気分として思い出す光景があります。

 

それは厳密には卒業ではないけど、大学の合格発表。

高校の卒業式の数日前だったと思うが、私は一人で合格発表を見に行った。

 

「コイハジ」の様なインターネットで時間が来たらアクセスして見る、とかそういう感じではなく、大学構内に貼り出された合格した受験番号を白幕で隠し、時間がきたらバッと引き剥がし、歓声が上がる感じのあれだ。

 

あの時に見たもの、感じたもの、周りの反応の色々は忘れないと思う。

ついでにこれから受験勉強をがんばる人に向けて(そんな人はこれを見ていないとは思うが)勉強を頑張るコツみたいなものも伝えたい。

 

 

私は小学校、中学校とそれなりに成績はよかった。

中学は特に学年で1、2を争う感じだった。今思えば普通の公立中学だから特段すごいことでも何でもない。要するに当時は中学生らしく分かりやすく調子に乗っていた。

 

高校受験では市内で一番国立大学への進学率が高い公立高校へ入学した。

 

その高校は2年の後半くらいまでには1通りの高校の授業が終了して受験対策授業になるくらいには進学校だった。

 

正確な空気感を伝える為に重要になってくるのが、この高校の各国立大学への進学率。もちろん年によるし、私の時は以下の様な数字だった気がする。

 

現役で数人の東大の合格、浪人なら10名前後。

京大にも現浪合わせて20名前後。阪大には現浪合わせて40名前後だ。

京大、阪大の現役:浪人=4:6くらいだと思う。

 

それくらいのレベルの進学校だったから、1クラス40名のうちなんだかんだ半分くらいは浪人する。特に理系はそうだったから、6クラス。

 

国立大を目指して勉強しよう、浪人すれば志望校のレベルを1つくらい上げても合格できる実力をつけよう。そんな空気だった事を覚えている。

 

それでも私からすれば周りも勉強できるやつが多くて、それまで勉強できる子だった私は完全に2年の春休みから落ちこぼれた。「完全に」だ。

 

400人中380番とかそんな成績を出すことも珍しくなかった。

 

元から調子に乗っていたので、一気にモチベーションが下がったことを覚えている。

それでも周りのみんなも勉強だけじゃなくて、運動が得意だったり、おもしろいやつもたくさんいたから友達になれたし部活も最高に楽しかった。 

  

そんな頃、進路相談の時期がやってくるのだが、何を思ったか阪大を志望した。

 

理由は特になかった気がするが強いて挙げるとすれば3つ。

 

●家から近いのは国立は神大、阪大 

●なんかみんな阪大って言ってる 

●理系だしなんとなく阪大

 

うん、すごく馬鹿っぽい。

将来的なビジョンなんて全くなかったし、表向きには「選択肢を広げる為」とか言ってた気がします。

 

足して更に馬鹿っぽいw別に広がってねぇわ。

むしろ専門性が強くて狭まった気さえするわ。

 

でも言霊っていうのかな。

志望校として阪大と書けば書くほど、行きたい、行けるはず、行くってなってくるもんです。3年の夏までE判定以外見たことがなかった。

 

判定は変わらなくても手ごたえが変わっていく。

普通に考えれば手ごたえが変わっていくのにE判定のままだったら普通やる気なくなりそうなもんですが、この手ごたえが変わっていく感じが純粋に楽しかったし嬉しかった。

 

限りなくDに近いE!とか言ってた記憶もよみがえってきました。

 

それEだから20%未満なんだよ?w

 

この頃、周りも大して変わらない状況でした。

みんな志望を高く設定し、

「あいつは大丈夫やろ」

「おれは浪人やわ」

とお互いを探る様な雰囲気。

 

それを聞いて私は、めっちゃ勉強してるやつが「勉強なんてしてないよ」という類の牽制をしていたのだと思っていました。

 

実際は、皆「どうせ浪人だし」と口では言ってるけど、まさか本当にはじめから浪人するつもりで受験してるやつはいないと思っていたし、私自身も浪人はしたくなかった。 

 

正直常に「関係ない」って心の中で唱えながら勉強してました。

 

だって、受験するのは自分だし、周りが受かろうが落ちようが、自分が受かるか落ちるかしかないですから。

 

そんなこんなで毎日ひたむきに勉強に勤しみ、迎えた合格発表の日。

少し寝坊した。

 

白幕を下ろす瞬間には間に合わず、ゆっくりと阪大の長い坂道を一人で登り、親と一緒にうな垂れて下ってくる予備校で出会った可愛いあの子や、サークル勧誘のビラの束を握りしめて緩んだ知らない顔とすれ違いながら、色んなことを考えた。

 

掲示板の前に着いた。

 

既に20分ほど前からどんちゃん騒ぎになっている様子だった。

人を掻き分けて前に立とうとしたら、2つ隣くらいから自分の番号が見えた。

 

一瞬で周りの音が聞こえなくなった。

嬉しかった。それを噛み締めた。

 

声をかけられた。

高校の先輩で先に阪大に合格してる先輩が心配そうにこっちを見ている。

 

ありました…!

 

というと、よっしゃー!!と言って抱きしめてくれた。受かったの俺だよ?ってくらいに喜んでくれる先輩が前より好きになった。

 

家で報告を待ってる親、ばあちゃんに電話した。なんか涙が出てきた。

 

先生に報告しなければと思い電話をかけた。

 

喜んでくれた。

その先生は、3年の夏までE判定続きだった私に、「俺の勘だかな、お前は登り龍の様に最後にグッと成績を上げてくるタイプだ。」と言って鼓舞してくれた人だった。

 

あの時点で私が手応えを感じ始めていることに唯一気づいてくれていた人だった。

ありがたかった。本当に心強かった。

 

問題はここからだった。

合格発表当日、高校に登校してインターネットで合格発表を見たクラスメートや部活仲間がいることはわかってた。

 

自分が受かったと分かると、自分より成績がずっと上だったやつや、自分と同じ様な成績だったやつ、同じ学部を受けてるやつ色んな奴がどうなったかが急に気になった。

 

やな奴かもしれない。でも、ものすごく純粋な気持ちだ。

 

受かったからかもしれないが、少なくとも同士みたいな気持ちでいたのは確かだ。

 

捨て身で高い壁に向かって一緒にジャンプした同士たちが、越えたのか、越えられなかったのか。

やはり半分くらいは越えられなかったらしい。

 

驚いたのは、彼らがが受かった私を裏切り者と呼び、卒業旅行からも外そうとしているという噂が当日中に私の耳に入った。

 

それくらい側から見て私の成績は直前まで到底届くものではなく、周囲が思う「あいつは浪人するだろう」枠に入ってたことが分かった。

 

せっかく受かったのになんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。

裏切りでもなんでもない。私が諦めずに努力したから受かったという自負はあった。

もっと言うと二次試験が終わった時点で手応えはあったんだ。でも不安なのは皆んなと一緒だ。

他の人が自分よりできてたら…とか。今年は全体的に簡単だったとか。何を基準にするかで手応えなんて変わってくる。

 

大事なのは自分に基準を置くこと。最後までできる努力をしたし、その結果二次試験を終えた感触に手応えを感じたのは間違いない。

 

誰かにその努力を裏切り行為だと言われる筋合いはないわけだ。

だからこそ一人で結果を見に行った。

 

受かった瞬間にちゃんと喜べる様に。

落ちた瞬間にちゃんと悔しがれる様に。

 

一緒にジャンプした同士が越えたり、越えなかったりする様を見ながら結果確認してたとすると、素直に喜びを表せただろうか。もし、落ちてたら素直に悔しがらずに、予定通りだったみたいな顔をしてしまってたんじゃないだろうか。当時の彼らの様に。

 

人に裏切られた、と言う場合それは、相手に何かを期待していた、と言うことに他ならない。

 

受験に限った話ではない。仕事にしても誰かに何かを期待すると言う事は、裏切られる可能性を孕んでいると考えるべきです。

 

現役で落ちた友達は一部を除いて、皆翌年に大学の後輩として入学してきたり、京大に合格したりしてその当時のことを笑って話せるバカばかりだ。

 

これから受験勉強に立ち向かう人へ

●目標は高く持ち、志望校だと言い続けよ。

●一度解けた問題は何度も解け。

●周りに流されていいのは高い目標だけ

●結果は全て自分の努力に帰属すると心得よ

 

目標が高くなるならその時は流されてもいい。でも、人のせいにするな。

 

努力は裏切らない、はイチローの名言かもしれないが、名言には名言たる所以もある。

 

ついでにサラッと言ったが、勉強のコツは、解けた問題を何度も解け、ということ。

解き方のパターンをたくさん知ってる奴が回答用紙に「書ける」。

 

解ける、ではなく書ける、です。

 

私自身、手応えがあったと言った二次試験の数学は完答0です。でも回答用紙いっぱいに導けそうな方程式をたくさん書いた結果合格した。

 

だから解いた問題の数ではなく、解き方を覚えた問題の数が大事。

 

今回、卒業のテーマに受験の終わりを思い出しながら書いてみたが、これは仕事する上でも役に立ってる経験の一つだ。何度も解きながら、他人に期待せずに高い目標に手応えを感じながら日々努力を続ければ、結果は自ずと付いてくる。

 

被害者意識を捨てて、己を鼓舞せよ。

勉強が全てだとは言わない。

だが、目標を設定しやすく、努力した結果が出やすいのも勉強だ。勉強した内容そのものよりも、その結果、何を学ぶかということは学んだ奴にしかわからない。

 

まだ本気出してないだけの人は一度本気出してみたらいいと思う今日この頃。