セクショナリズムを取り払え
こんばんは。
かなり久しぶりの更新になってしまいました、まうちーです。
誰も待ってないってのは言いっこなし。
さて、今日は妻との家事分担と会社における業務分担のお話。
我が家では妻も私も家事はさほど得意ではなく。まあ妻より私の方が数百倍ズボラなので、圧倒的家事処理能力の差があることは言うまでもないのですが。
でも、共働きなので、家事も分担でしょ、そんなの当たり前!でスタートしました。
何度か衝突はあったものの気づけば、食器洗いと風呂洗い、ゴミ集めは私の仕事。
食事の準備、洗濯は妻の仕事になりました。
ここで2種類の意識があるなーと最近気づきました。前提として、家事=めんどくさい、があります。
①これは相手の仕事なんだから何があっても私はやらない!
②今日は疲れて寝ちゃったみたいだから洗濯もしとこう!
自分の仕事だと思いたくない私が数日サボっても妻は私の分担をやりませんでした。
結果、私は家事をこなす様になっていきました。
そして、自分でもチョロい男だなーと思いながら、褒められたり感謝されると悪い気がしないんですよね。
そうこうしているうちに家事そのものに負担を感じなくなってきたので、妻が寝た後の洗濯までやる様になりました。
正直、家事ができる様になったからどうってことはないですが、仕事に置き換えてもそうだなーと。
自分の仕事の範囲は自分の行動で決まる。
できないからやらない。
やらないからできない。
分からないからやらない。
やらないから分からない。
やってみればいいんじゃないか?
◆任せる側のマインドセット◆
また、やったことないことに対して、
やれ!
だけでは、やる気も出ない。
誰か他の部署の人に仕事を任せたい、動いてもらいたいと思う場合、一度しっかりと分担を決めて、できるまで手を出さない覚悟は持っていいのかもしれない。
その上でやってくれたことに関して感謝を伝える。これが鉄則なんだと。
できるまでちゃんと仕事ぶりを見極め、導く必要はあるとしてもできた時にそれが当たり前だと思わない。
当たり前の対義語は、有難い。
有ることが難しい。分からないことをやってみようと思ってくれたことが有難い。
夫婦円満の秘訣であり、
人に任せる極意ではないか。
◆任される側のマインドセット◆
20代の頃の私は、
誰もやらないならやるよ?
ラッキー!
みたいなテンションで気付いたら各部署の課長部長クラスを集めて一人で進めたプロジェクトもあった。当然一人じゃ何もできないわけなんだけど、それでも気づけば責任者みたいな位置付けになってた。
結果として会社の普段見えない仕組みやお金の流れ、関わりの少ない場所の仕事内容まで理解できたからやってみて良かったと思うし、違う案件でも社内で相談できる人は確実に増やせたと思っている。
何が言いたいかと言うと、仕事におけるセクショナリズムは主観的にはこの様なイメージでお互いの仕事の領域を決めていることが多い。
だとすると、どちらの責任でやるかが不明確な領域が、存在していてその部分を自分がやってみた方が少なくとも社内では誰もわからない事をやるチャンスだし、結果として自分の仕事に幅を持たせることになる。
ついでに他の部署の仕事への理解が仕事のスピードを速めることも多々ある。
会社という空間は狭い。かなりクローズなコミュニティだと思う。
だからこそ人の仕事に興味を持ち、多くの事を学ぶことができると思っている。
数値目標で成果を認められる事も嬉しいし、楽しいが、あまり興味がない。こういう自分自身の成長こそがサラリーマンの醍醐味ではないだろうか?